ラプソディ・イン・ディープブルー - 5/7

 誰かの汗の匂いがこんなに興奮するなんて、思いもよらなかった。しかもその誰かってのが、七つも年上の男で、教師だ。もしここにタイムマシンがあって、過去の自分に伝えたとしても、エイプリルフールでももう少しマシな嘘が聞きたいもんだと、一蹴されるだけだろう。
 ちなみに今、そいつの尻にムスコを突っ込んでマス。っつってもやっぱ信じねえよな。でも生憎、本当なのだから仕方ない。心してかかれよ、過去の俺。
 雑なエールは過去ではなく、現在進行形で自身に向けるべきものだが、今の万里には受け取る余裕は無い。考え事は許さないとばかりに、左右に割り開かれた脚が万里の腰に絡み付いたからだ。
「はッ……くそっ」
 危うく、入れただけで果てるところだった。なんとか堪えてついた悪態に、組み敷かれているはずの男は口の端を上げて、この状況に似つかわしくない清廉な笑みを作る。
「すごい。ぜんぶ入った……ね」
 涼やかなテノールと、不釣り合いな肌の熱さが、じりじりと理性を焼いていく。額にかかる前髪をかき分けると、大きな双眸が、万里を映してとろりと揺れた。眼鏡がないと実年齢よりも幼く見えて、歳の差だとか、教師と生徒だとか、そういう境界が曖昧に思えてくる。その分、彼が滲ませる余裕には、腹の底にふつふつと湧くものがあった。それがいわゆる経験の差なのか、それとも取り繕ったものなのか分からないけれど。
 もどかしさを払うように、一度引いた腰を強引に奥まで沈めると、紬は背をしならせて白い喉を晒した。
「アンタ、なんでそんな余裕なんだよ」
「君こそ、はぁ、……ん、随分、手際が良……ぁッ」
 浅く、深く。抽挿を繰り返しながら、首を擡げた紬の性器を握りこんで、ゆるゆる竿を扱き上げる。
「あ、あアっ、……ん、待っ、……ふぁッ……!」
 逃げる腰を捕まえて、鈴口を親指でぐりぐり刺激してやる。先端から先走りが溢れ、万里の手を汚した。
 滑りが良くなった手でさらに責め立てながら、反り返って供物のように差し出された胸元に、ゆっくりと舌を這わす。ピンク色の突起を舌先で転がして、わざと水音を出しながら、くちゅくちゅ舐り上げた。
「あ、あ、ん……やっ、はぁ……ッ」
 間断なく甘い声を溢しながら、振り乱す藍色から汗が閃く。甘噛みすれば窄まりがきゅんと締まり、捏ね回せば性器がはしたなく震えた。万里が与える刺激を一つも漏らさずに反応する健気な身体は、華奢なだけで柔らかいわけでもないのに、今まで味わったことのない高揚に心が揺さぶられた。
「ひゃぁ! ばん……り、く……ッん……!!そこッ……やぁッ……!」
 性器と胸への刺激でふくりと存在を主張し始めた前立腺を、内側から擦りあげる。悲鳴に近い嬌声が上がり、蠢く内壁は、質量を増した万里をぐいぐいと締め上げた。
「っ、……きっつ。こっちが食いちぎられそ。ここ、そんなにいーんだ?」
「わかんな……っァ、あぁッ……!!」
 浅いネット情報だけで事に及んでみたものの、元来の器用さは、こんなところでも発揮されるらしい。それともこれは、受け入れる側の才能か、はたまた経験か。さっき振り払ったはずの感情が、またむくむくと湧いてくる。その感情の名前が「嫉妬」だということは、もう自覚してしまっている。
 弱いところを的確に、がつがつと突き上げてやれば、紬は可哀想なほど腰を振って善がった。
 艶やかな藍の髪がじとりと汗ばんだ額に張り付いて、潤んだ目から零れ出た涙が、赤く染まった頬を濡らしていく。涙を舐めとって舌を耳孔に差し入れると、一際高い声をあげて腰がガクガク震えた。
「あ、あ、イ……クッ……!」
 万里の動きに合わせて、手の中の昂ぶりから途切れ途切れに白濁が噴き出して、薄い腹を汚していく。ひくひくと波打つ肉襞に締め上げられて、万里も薄い膜越しに欲望を吐き出した。

 情事の後は腹が減るものだ。盛大に腹を鳴らしたのは、紬の方だった。その割に温め直した鮭弁当は半分ほどしか減らず、残りは唐揚げ弁当とともに、万里の腹に収まった。
「……濃い」
「ご、ごめんね」
 食後に出されたコーヒーを一口飲んで万里が眉をひそめると、紬は申し訳なさそうに俯いた。瓶からスプーンを使わずカップに直接粉を投入しているのを見た時点で、止めに入るべきだったのだが、過去を悔やんでも仕方がない。出されたものを残す習慣はないので、手元にある焦げ茶色の液体をすべて腹に収めた。
「ごちそーさま。まぁ、次は俺が淹れるんで」
「……」
 どうせ飲むなら美味いものが飲みたいし、何事にも適材適所というものがある。手持ち無沙汰になって、手の中のカップを弄んでいると、やけに隣が静かになっていた。そちらに目をやると、紬は眉を寄せて、笑っているような、泣いているような、怒っているような、よくわからない顔をしている。
「どうしたんすか。しんどい?」
 そんな表情は一瞬で消え去ってしまって、次に現れたのは涼しい笑顔だった。
「ううん、大丈夫。万里くん優しかったからね」
「……なら、もっかいする?」
「ふふ、……いいよ」
 冗談のつもりだったのだけれど。テーブルにカップを置いて、グレーのスウェットを纏った身体を抱き寄せた。
 摺り寄せた鼻先は、さっきシャワーを浴びたばかりなのに、もう冷たくなっている。ちゅ、と軽い音が唇に乗った。誘われるままに忍び込んだ口腔は熱く、熟れた果実のように、とろりと万里の舌に絡み付いた。
「そういえばさ、アンタ身体弱ぇの?」
 スウェットの裾から手を忍び込ませながら、今更気がかりだったことを聞いてみたのは、ずるずると行為に及ぶのが癪だったからだ。
「体力がある方ではないけど、どうして?」
「東さんが、アンタは保健室の常連だったって」
「ああ。部活でね、本番前になるとつい寝食が疎かになっちゃって、よく倒れては東さんにお世話になってたんだよ」
 上衣を剥ぎ取って、薄い腹から腰のラインを指でなぞると、紬はくすぐったそうに身を捩った。食が細い上にさらに寝食を忘れてしまったら、こんな痩せっぽちの身体なんて、消えてなくなってしまいそうだ。
 フローリングに押し倒すのも憚られて手を引くと、自らベッドに仰向けになった紬が、両手を万里の方に差し出した。覆いかぶさって柔い抱擁の合間、薄く開いた唇にまたひとつキスを落とす。淡いブルーのシーツに、細い藍色がさらりと踊った。
 額、瞼、頬、顎から鎖骨、胸元から臍へ。首筋のシャツで隠れるギリギリのラインに、淡く残る万里の印を上書きしながら、下へ、下へ、唇で紬の輪郭を辿る。薄く浮き出た肋骨にさえ欲がこみ上げてくるなんて、万里の常識は、この男によって随分愉快に書き換えられてしまったようだ。
「その度に丞に叱られてたな」
「丞?」
 ぽつりと溢された男の名前に、下肢に伸ばした手を止めて、チラシが置かれたデスクの方をちらりと見やる。
「そう、GOD座の高遠丞。幼馴染なんだ」
 その視線を追っていたらしい紬が、やけに明るい声でそう言った。
「丞は、昔から真面目で、努力家で、バカがつくほど芝居に一途で。あのGOD座の入団テストにも受かった上に、2年足らずで、主演まで勝ち取っちゃった」
 ズボンと下着をまとめて引き下ろすのを、腰を浮かせて手伝いながら、自慢の幼馴染だと笑う。行為の最中に他の男の話をされるのは、全く面白くない。サイドボードに情緒のかけらもなく鎮座するローションのボトルを乱暴に掴んで、赤いキャップを外した。紬はそれをおかしそうに見守っていて、悔しさに頬が熱くなる。手のひらに溢すと、ひやりとしたそれはすぐに温かくなった。
 緩く首を跨げた中心にどろりと垂らして、指で作った輪を先端に宛てがうと、紬は自ら腰を突き上げて、ずぷずぷと輪の中を行き来する。
「ァ、ん……」
「えっろ……」
 あまりに蠱惑的で、知らず喉が鳴る。先走りの混じったローションが、下生えをかき分けて後ろの蕾までじっとりと濡らした。
「アンタは、なんで芝居やめたんすか」
 後孔に中指をつぷりと差し入れて、粘液を塗り込んでいく。最初の挿入に時間をかけたおかげか、ぬかるんだ中は、簡単に万里を受け入れた。絡みつく襞を撫で上げると、細腰がひくりと跳ねた。薬指を増やして二本を奥まで沈め、また引き抜いてと緩い抜き差しを繰り返す。
「……っ、ん。単純な話だよ。俺……には、才能が無い」
 右手が目元を隠していて、表情を読み取ることはできないが、その声に悲壮感はなく、ただそれが事実だと、つらつらと読み上げているように聞こえた。せり出した半円形の舞台の真ん中に、佇んでいた天使。その命の終わりを、あんな風に演じておいて、何故。指先にまで魂が宿ったようなあの演技は、卑下するようなものでは決してなかったはずだ。
「ねぇ、もういいから早くきて」
 この話は終わりと急かすように、伸びてきた手が、万里のシャツを掴んだ。漸く現れた双眸が潤んでいるのは、生理的なものなのか、それとも。
「まだ慣らしてるトコだからダメ。もーちょい我慢して」
「君って……ぁッ……ん、意外……と、紳士だよね」
 三本目も容易く受け入れた身体が、妖艶に揺れる。中で動かしていた指をずぷりと引き抜くと、糸を引く熟れた粘膜が、ひくひくと戦慄いた。意外と言われるのは甚だ心外だし、乗せられていると分かっているのに、闘争心にかちりと火が灯る。
「何、不満?」
「ちょっとね」
「ふはっ、マジか。……じゃあ、どうしたいか教えてよ。月岡センセ」
 耳元で囁けば、シャツを掴んでいた手が、腕をさらりと登って頬を掠め、耳にかかる髪を梳いた。
「もっとめちゃくちゃにしてよ。なにも考えられなくなるくらい、君でいっぱいになりたい」
 そんな芝居がかったセリフと、正面からぶつかった青い目が、抗えない力で万里を引き寄せた。
 万里の輪郭を確かめるように肩を撫でる指が、次第に熱を帯びていく。かぶりつくように合わさった唇が、互いの呼吸を奪い合って、くらくらと目眩がした。まるでふたりもつれあいながら、深く暗い水底に落ちていくようだ。
 才能が無い、そう思い至ってしまった何かがあって、きっとそれが、この人の心の柔らかいところに刺さった棘なのだろう。その傷は未だ癒えることなく、じくじくと膿を出し続けている。
 薄い膜を纏った昂りを後孔に宛てがって腰を進めると、ぬかるみは熱く柔く万里を招き入れた。
「ぁッ……、ばんりくん……」
 上気して桜色に染まる肌が、名前を呼ぶ。その甘い声が愛おしくて、苦しい。その傷を癒して、アンタの心に開いた穴を俺で埋め尽くしてやりたい。暇を持て余しては人を傷つけてばかり来た自分に、こんな感情が生まれたことに感動すら覚えた。
「好きだ」
 初めての感情が、言葉になって口からこぼれ落ちる。そして一度出てしまえば、溢れて止まらなくなった。
「紬さん、好き。好きだよ。アンタが好きだ」
「ひぁ、ぁ、アッ……!奥、あたって……ぁあっ!ば……りくッ……!!」
 何度も拙く繰り返しながら、乱暴に腰を振る。接合部から溢れたローションが、卑猥な水音をたててぐじゅぐじゅと漏れ出した。純粋な思いと獣じみた行為のちぐはぐさが笑えないのは、どっちも本当で本物だからだ。
 両脚を高く持ち上げて挿入の角度を変えて、より深く紬の中を掻き混ぜる。肌と肌がぶつかり合う音に、背筋がぞくりと疼いた。はち切れんばかりに立ち上がった紬の性器の先端から溢れ出た先走りが、抜き差しの度に腹をどろどろに汚していく。
「あ、ああァッ!や、あっ……ひ、や、ッあ……!」
 もがく腕が、助けを求めるように万里の背を抱いて爪を立てた。ぴり、と走る痛みすらも愛おしい。ナカがきゅうと締まって、限界が近いことを主張する。
「いっちゃ……うッ!ばんりくん、や、あ、ァ、ああっ!ーーッ!!」
 ぎりぎりまで引き抜いた性器を、一気に最奥まで突き入れたのと同時に、紬は爪先をぎゅうと丸めて、白濁をびゅくびゅく吐き出した。こみ上げる絶頂感に身を任せて、締まる肉壁をさらに擦り上げ、紬の中に猛る飛沫を迸らせた。
「っは、ーーっ……!!」
 甘く痺れる余韻の中、胸元に頭を預けると、優しい指先がさらりと髪を梳いた。とくとく鳴る早い心音に身を預けていると、何故か目頭が熱くなる。
「紬さん、好き。好きだ、すげぇ好き」
 必死で、格好悪くて、ばかみたいに暖かい、こんな声は知らない。
「万里くん」
 穏やかに名前を呼ばれて顔を上げると、紬は苦しそうに眉を潜めて淡い海色からはらはらと涙を流していた。指先が、静止を促すように万里の唇に乗る。それから何度か息を吸って吐いて、口角を上げて綺麗な笑みを作ってから、残酷に言い放った。
「万里くん、ごめん」
 そして嫌というほど思い知る。
「紬さん」
「ごめんね、……ごめん」
 アンタの隙間に、俺で埋められるものなんてひとつも無いんだってこと。