ラプソディ・イン・ディープブルー - 3/7

 観客なんて一人もいないというのに、誰かの目から逃れるようにもつれ込んだ、舞台袖。濃い影を辿って奪った唇は、あっという間に抗えない深みへと万里を突き落とした。
「ぁ……待っ……」
 もう何度目か分からない、キスの合間を縫って漏らした声。でも、今更待てるわけがない。荒い息遣いも、堪らず溢れた高い声も、ぷくりと膨らんだ唇も、赤く染まった目元も、上下する平たい胸も、いつの間にか回された、細いけれど意外と力強い腕も、下肢に滑り込ませた手に押し付けられた、どうしようもなく同性であることを主張するこの熱も、全部、欲しいと思ってしまったのだから。
「汚れちゃ……う、から」
 自分で立っていることもできないくせに、随分理性的なことを言うのが気に食わない。こっちはアンタでいっぱいだっていうのに。
「じゃ、汚れないように咥えてて」
 わざと意地悪く嗤うと、紬の頬に差す朱が色を増して、少しは溜飲が下がった。
 たくし上げて口元へ差し出したシャツの裾を、紬が恨めし気に食む。この人、自分がどんな顔をしてるか、分かってるんだろうか。太腿までスラックスと下着をずり下げると、緩く立ち上がった屹立は、先端から溢れた先走りでとろとろに濡れそぼっていた。
 くたくたに煮詰めたジャムのように、甘い視線。その上目遣いに煽られて、万里は芯を持った自身を取り出すと、一緒に握り込んでゆっくり上下に扱いた。
「はっ、すっげぇぬるぬる。すぐイっちまいそ」
「ん、……っふ、んんっ」
 落とさないよう咥えたシャツに、歯を立てる様がいじらしい。右手の速さを増せば、逃げを打つ腰と裏腹に、絡みつく腕は一層強く万里の背を抱いた。夜明け前の空の色をした髪の合間から覗く耳が、赤い。
「ひぁ……んッ……!」
 誘われるようにぺろりと耳の輪郭を舐め上げると、紬は大きく身体を震わせた。
「へぇ。アンタ、ここ弱ぇのな」
 予想外に良い反応が返ってきたことに気を良くして耳元で囁くと、手の中の屹立が硬さを増した。喋ることができない代わりに向けられる非難の目は、残念ながら煽っているようにしか見えない。耳朶を食み、尖らせた舌先で小さな穴を責め立てる。ふ、ふ、と浅い息をついて、刺激から逃れようとくねらせる腰は、残念ながら新たな快感を与えるだけだろうに。
「腰揺れてっけど、そんなキモチーの? イっていいっすよ」
「違っ! ……ぁあ、待っ……やぁ」
 咥えていたシャツが落ちようが、涙の膜が決壊しようが、制止の声が悲鳴に近かろうが、止められない。溺れる者が縋るように、背に回る腕が、シャツに深い皺を作る。でも一体、溺れているのはどっちだ。
「やっ……イクっ、……ぁああッ!」
 細い身体が戦慄いて、甲高い嬌声と共に掌に熱が迸る。ガクガクと震える腰を抱えて、まだ欲望を吐き出し続ける紬の性器と、はち切れそうな己のものをこすり合わせた。
「ひゃぁ! あ、あッ! やだ……お、俺まだイって……からぁ!」
「もーちょい、ガンバッて。……紬さん」
 自分から出たと思えないような、甘ったるい声を耳元に落とすと、紬はいやいやと子供のように首を振る。噴き出た汗が、弱い照明を拾って、六等星のように散らばった。汗ばんだ額を押し付けられた肩が、熱い息がかかる胸が、じりじりと焦げ付いていく。目の奥がチカチカと明滅して、背筋をせり上がってくる快感に身を委ねた。
「……っは」
 どろりと吐き出したものは、万里一人のものではない。強制的に二度目の絶頂へ追いやられた身体は、可哀想なほど震えている。けれど、万里の内に灯った熱は、温度を増すばかりだった。もっと。もっと、見たい。この男を、この手でどこまでも乱したい。そんな衝動のまま、後孔へと濡れた指を這わせた。
「ちょっ、ダメ!」
 力の入らない腕と裏腹に拒絶の声は強い。
「そりゃ無理っす……んぐっ」
 力で敵わないのは知っているとばかりに、鼻を摘まれて寄せられた唇。歯列を割って侵入してきた舌が、乱暴に絡みついて、酸素なんてすぐに奪いつくされてしまう。敢え無く降参すると、とろりと光る唇が弧を描いた。
「これ以上は、……ここじゃ嫌だ」
 なぁ、それって、ここじゃなきゃイイって事だよな。なんて、敢えて聞くほど野暮じゃない。
「ね? お願い、万里くん」
 潤んだ目は非難も拒絶もなく、ただ明確な情欲を持って万里を射貫いた。