chapter:3
ピコン。トラックの荷台から下ろした生花を奥のテーブルに並べていると、エプロンのポケットに入れていたスマホがLIMEの通知を告げた。
「あ、万里くんだ」
すっかり見慣れたアイコンに、つい頬が緩む。
古着屋行ったらザビーに似てる犬がいた。簡素なメッセージと共に送られてきたのは、可愛らしいダックスフントの写真。
あ、ほんとだ。確かに、ザビーに似ている。いつ話したかもよく覚えていないけれど、愛犬のことを覚えていてくれたことが、なんだかすごく嬉しい。
俺も会ってみたいな。辿々しくも文字を打ち込んで、三回読み返し、送信ボタンを押した。
ピコン。じゃあ今度、一緒に行こ。光の速さで返事が返ってきて、慌ててしまう。同じ人間とは思えない。というか、機械が苦手な紬からしてみたら、万里は新人類に等しい。
「た、の、し、み、に、し、て……っわぁ!」
ピコン。返信するより早く、二通目が届く。
明日暇? 思わずふはっと吹き出した。
明日は水曜日。紬の休みを狙っての、デートのお誘いだ。最初からそのつもりだったのかもしれない。だとしたら、健気で可愛い。
明日、大丈夫だよ。学校が終わってから、落ち合おう。一応大人として、サボりの口実にはならないようにする。
彼にとって、学校はつまらないものかもしれない。要領が良いから、留年の心配もしていない。けれど。制服を着て、黒板に向かっていた、もう戻れないあの日々を思えば、なんでもない一日も大切にしてほしいなんて、思ってしまうのだ。
焦らしているつもりはないけれど、返事が遅くて焦れているかもしれない。それでも急かさずに待ってくれているところが優しくて、好きだ。
やっぱり返事はすぐに届いた。待ち合わせ場所と時間、それから。
「会えるの、楽しみ。だって。……俺もだよ」
画面に向かって溢れた言葉は、なんだか自分でも驚くほど甘ったるい。文字にして伝えるのも気恥ずかしくなって、花のスタンプをひとつ送るだけにした。
「店長ー、もう外に出しとくもんないっすか」
「わ! つ……綴くん!」
店先にプランターを並べていた綴が、ひょこりと現れた。そうだ、今は仕事中だった。わたわたと慌てる紬に、綴は目をしぱしぱと瞬いた。
「どうしたんすか?」
「ううん、なんでもない! 外も、もう大丈夫だよ。ありがとう」
「っす。あ、明日休みですよね。買い付け俺が行くんで、必要なものあったらメモしといてください」
「うん、わかった。よろしくね」
アルバイトの綴は、よく気が利いて、力持ちで、働き者だ。葉大の一年生だから、万里より一つ年上。万里の大人っぽさとはまた違うけれど、とてもしっかりしていて、最近の子は凄いなとつい感心してしまう。
未だに幼馴染に危なっかしいと呆れられてしまう紬とは随分違う。まぁ、ないものねだりは不毛だし、人と比べても仕方がない。そう割り切れるくらいには大人なつもりだ。
さて、仕事仕事。腕まくりをして、テーブルに並べた花を取った。
低い雲を浮かべた空や、頬を刺す風の冷たさに、冬の気配が濃く映る。マフラーに鼻まで埋まって、駅から吐き出されていく人たちを見るともなしに見送った。
待ち合わせの十分前。ちょっと早かったかもしれない。
家にいてもなんだか落ち着かなくて、出て来てしまったのだ。
初めてのデートでもないのに、思いのほか浮き足立っていて、恥ずかしい。吐き出した息は白く解けて、寒空へ消えていった。
万里と付き合いはじめて、二ヶ月が経つ。カフェで再会し、そのあとデートに誘われて、帰り際に告白され、受け入れた。
LIMEでの連絡はほぼ毎日。デートは月に二、三回。手を繋いだり、キスも何度かした。交際は驚くほど順風満帆だ。
恋愛と随分遠いところにいると思っていた自分が、七つも年下の男の子とこんなことになるなんて、少しも思っていなかった。もちろん、戸惑いもあるけれど。万里が紬を好きでいてくれて、紬も万里が好きで、だからふたりでいる。それはとても自然な成り行きに思えたのだ。
それよりも、受験生の時間をこんなに貰って大丈夫なのかと、そちらの不安の方が大きかった。そんな紬に、万里は模試の結果を見せて不敵に笑った。
国内最高峰の錚々たる大学名が並び、それらすべて、最難関のT大も漏れなくA判定。だから大丈夫。寧ろアンタに会えないと、ジュケンベンキョーのモチベ上がんねーんだわ。そう嘯かれては、苦笑するしかなかった。
「なーに笑ってんすか」
「わ、万里くん!」
気付けば目の前に、すっかり見慣れた綺麗な顔。切れ長の目が、楽し気に細められている。
「俺、変な顔してた? ちょっと考え事してて」
「変つーか、可愛い顔してましたけど」
「かわ……」
童顔な自覚はあるものの、かわいいと言われるのには、どうも慣れない。嫌ではないけれど、嫌じゃないことが恥ずかしいというか、悔しいというか。
「なぁ、今何考えてた?」
「内緒だよ」
だから、君の事を考えていたんだよ、なんて教えてあげない。
「ふーん。ま、いいけど」
あっさり引き下がられて、紬の子供っぽい対抗心は空振りに終わった。それもまた悔しい。とはいえ、ここで引きずるのも負けな気がする。
「それより、寒いところで待たせてスンマセン」
「ううん。俺が早く着いちゃっただけだから、気にしないで」
「へーえ、そんな楽しみだったんだ」
「うん。古着屋さんのワンちゃん、ザビーに似ててすっごく可愛かったからね」
早く会いたいなぁ。無邪気にはしゃげば、万里は「そっちかよ」と呆れた。
共通点といえば「カフェが好き」くらいのもので、年齢も趣味も好みもバラバラなふたりだから、洋服の系統ももちろん違う。万里が訪れるような古着屋に、紬は足を踏み入れたこともない。
お目当ての看板犬(人懐こくて、尻尾を振って出迎えてくれた)と戯れた後、足を踏み入れた店内は、想像よりもずっと上品で落ち着いていた。
「はぁ、おしゃれだなぁ。古着屋ってもっとこう、強そうな感じの服とか小物が置いてあるのかと思った」
「つよ……ぶはっ」
いかにもファッションに疎い人間の感想を漏らして、万里にひとしきり笑われてしまった。
「もう、万里くん。笑いすぎだよ」
「悪ぃ。お詫びに、俺が服見立てますよ」
「え、俺に着られるような服、あるかな」
「まぁ任せとけって」
自信満々に胸を張るのが可愛らしくて、せっくだからとお願いすることにした。
トップスとボトムス、靴やバッグまで、ひょいひょいと迷いのない手つきで揃えられていく。上機嫌で店内を回る後ろ姿が、微笑ましい。
せっかくだから自分でも探してみようと、何気なくシャツを手に取った。淡いブルーで、胸元にはダックスフントのイラストが刺繍されている。ザビーに似ていて、可愛い。
戻ってきた万里に嬉々として伝えたけれど、物凄く微妙な顔をされてしまった。その表情は、よく幼馴染に向けられるものと似ている。呆れている時の顔だ。幼馴染なら、「は、可愛い? これのどこが?」と容赦なく返してくるだろうが、万里は、まぁいーんじゃないっすかと曖昧に肯定してくれた。やっぱり、彼は優しい。
万里の選んだ服は、紬にしてはかなり冒険したものだった。色味は落ち着いているけれど、個性的なカッティングが施された服は、なんだか落ち着かない。
「俺、変じゃない……?」
更衣室から不安げに出てきた紬を上から下まで見て、万里は満足げに微笑んだ。
「全然。すげー似合ってますよ」
「本当に? 君にそう言われたら、そんな気がしてくる」
「俺が選んだんだから、当然っしょ」
お洒落な万里くんがそう言うなら、そうなんだろう。
「けど、やっぱいつもの紬さんの方が良いな」
「なんで?」
「これ以上色気出されたら、ライバルが増えそうだから」
まぁ負ける気はしねーけどな。そう言って、カラカラと強気に笑う。そんな心配しなくても、大丈夫なのに。
「ふふっ、なにそれ。俺モテたことなんて無いんだけど」
「アンタは自覚がないところが危ないんだよ」
眉を顰めて、万里は盛大にため息を吐いた。本当にモテた記憶はないから、心配なんてしなくて大丈夫なのに。
「万里くんだけだよ、俺には」
出掛けるだけでそわそわするのも、微笑まれただけでどきどきするのも、もっと触りたいと思うのだって。
「……そっすか」
あ、照れた。ふいとそっぽを向いてしまう。その横顔に、赤くなった耳に、胸がきゅっと疼いた。
「なんか喉乾いてきた」
「じゃあ、お茶しようか。近くに出来たお店、行ってみたかったんだ」
結局、紬はサビ―似のダックスフントが刺繍されたシャツを買った。万里は呆れながら、これは全然色気ねーなと笑った。
看板犬と別れて、カフェへ向かう。最近出来たばかりの店で、コーヒーの品揃えの豊富さが話題になっていたから、万里と行きたいと思っていた。
「あ、ここ俺も気になってたんすよ」
紬よりも遥かに情報通だから、万里もお店のことは知っていたようだ。
「いろんな豆を扱ってるんだってね」
三つ折りのメニューを開けば、前評判通りの品揃えだ。どれにしようか目移りしていると、万里がラミネートされたおすすめメニューをぺらりと掲げてみせた。
「それもだけど、ここのたまごサンドが美味いらしくてさ。アンタが気に入るんじゃねーかと」
中央にはたまごサンドの写真。白いパンに挟まれたふわふわの厚焼きたまごが、黄金色に輝いている。
「俺、たまごサンドも頼んじゃおう」
「腹減ってないんじゃなかったんかよ」
コーヒーだけで良いかな。なんて言っていたことはすっかり無かったことにした。たまごと聞いたら、黙っていられない性分だ。
「たまごは別腹だから」
「さすがたまご星人」
「いやぁ、それほどでも」
「べつに褒めてねっす」
呆れる万里をよそに、さっさとブレンド二つとたまごサンドを注文した。食べきれなくても、彼なら軽く平らげてくれるだろう。
間もなく運ばれてきたたまごサンドは、写真通りの美しい佇まいで、紬は思わずほぅと感嘆の声を漏らした。
結局全部は食べきれなくて、別腹じゃなかったんすかと笑われながら、三分のニは万里の腹に収まった。若い胃袋に感謝だ。
デートと言っても、カフェで過ごす時間は、お互い好きなことをしている。
紬は本を読むことが多いし、万里はゲームをしていることがほとんどだ。たまに思い出したように会話を交わし、また一人の世界に沈み込んでいく。気を遣わず、孤独でなく、煩わしくもない。
アンタといると、なんか落ち着くっつーか、楽なんだよな。いつか万里がそう言った。彼が落ち着ける場所になれたことが嬉しかったけれど、紬にとっても、万里と過ごす時間は特別だ。
ちらりと向かいを伺った。長い指が、スマホの上を軽快に滑っていく。あまりの速さに目が回りそう。
やっぱり新人類だなと思う。全然違うのに、お互いのことを考えて、同じ店に目星をつけたりもする。そんなところが可笑しくて愛おしい。
「そろそろ出ます?」
万里が不意に顔を上げた。見ていたことに、いつから気付いていたんだろう。
二杯目のコーヒーもあと僅か。こんなに穏やかで心地良いのに、時間の流れは驚くほど早い。
「うん、そうしようか」
残りを飲み干して、席を立った。伝票は、今日は紬が持つ番だ。
会計は交代制にすると、ふたりで決めた。本当は奢りたい万里と、年齢的にも立場的にもそれをよしとするわけにいかない紬の、攻防の結果だ。
最初のデートは、万里があまりにもさりげなく会計を済ませていて、紬には支払う余地が一切なかったのだけれど。
会計を済ませて店を出ると、万里は入り口から少し離れた軒先で待っていた。
「お待たせ、万里く……あれ、雨?」
「んー」
奥まった席に居て、気付かなかったようだ。結構雨足が強い。朝見た天気予報は、一日曇だと言っていたのに。
「しばらくおさまんなそうっすね」
「なんでわかるの?」
風が読めるのかな。凄いね。早合点した紬に、万里は吹き出して、スマホを掲げて見せてくれた。アプリで雨雲の様子をチェックできるらしい。広がった雲は、暫くここに居座るみたいだ。
「アンタと会う時って、雨率が異様に高いよな」
初めて会った日も、二度目の再会も、雨だった。渡された花束や青い傘、近付いてきた唇を鮮やかに思い出して、心臓がどきんと跳ねる。
「あはは……そうだねえ。俺、雨男だったのかな」
取り繕うように、空を見上げる。すっかり日は傾いて、暗い空から落ちる銀色の糸が、街灯に照らされてキラキラ瞬いた。すっと息を吸い込めば、湿った土の匂いが肺を満たす。
雨の日は好きだ。土の匂いや、雨粒に濡れる花弁の煌めきや、ざわざわと葉が掠れる音。賑やかに天からの恵みを享受する彼らは、生命力に溢れていて美しい。だけど。雨は、万里にとっては、煩わしいものなのかもしれない。
「俺、雨の日って結構好きかも」
だから、穏やかな声でそう笑ったのは予想外で、とても不思議だった。
「え?」
隣を見やれば、雨雫を垂らした水面のように、藍紫の虹彩がきらりと波打った。
「前は、髪の毛まとまんねーし、濡れんのもヤだし、だりぃなって思ってたんだけどさ。今は、なんとなく紬さんのこと考える」
「俺のこと」
「そ。雨が降ったらアンタは、植物が元気になるって喜びそうだなとか、雨に弱い花にも甲斐甲斐しく世話してんのかな、とか。想像の中でも、アンタは一生懸命で可愛くてさ。そしたら雨も悪くねーなって思えたっつーか。……あー、いや、なんか俺すげー恥ずかしいこと言ってんな……」
ぶっきらぼうにも聞こえる声音は、照れ隠しなんだってこと。紬はもう知っている。
存外照れ屋な彼は、それでも時折こうやって、愛情を伝えてくれるのだ。そういうところが、すごく。
「好きだなぁ」
「雨が?」
「ううん、君が」
「……」
どちらからともなく絡ませた指先が、じんと痺れた。熱くて、熱くて、たまらない。
「紬さん」
LIMEでの連絡はほぼ毎日。デートは月に二、三回。手を繋いだり、キスをしたり。
そこから先は、万里が成人してから、進むべきなのだろう。でもきっと、そこまで待ちきれずに、高校を卒業したらそういう事になるんだろうなと、漠然と思っていた。なのに。
こんなに突然、我慢がきかなくなってしまうなんて。
「ねぇ、万里くん。うちで休んでいかない」
コンビニで傘を買うとか、タクシーを拾うとか、選択肢はあったのに。少しの時間も惜しい俺たちは、結局雨の街に飛び出した。
冷たい雨は全身をじとりと濡らす。寒いねって言いながら、くっつく理由を作ったみたいだった。
紬の住むマンションも、天鵞絨町にある。天鵞絨駅と隣駅の丁度間くらいにあって、職場は自転車で十分もかからない。学生の頃から一人暮らしを始めて、卒業後にアルバイト先で店長になった今も、同じ部屋に居座っている。生活に必要なものが揃っていて暮らしやすいし、独身の一人暮らしに広い部屋はいらないと思っていた。
この部屋に万里を招いたことはなかった。意図的に避けていたわけではない、と思っていたけれど。こうなることが分かっていたから、誘ったりもしなかったのかもしれない。
窓を打つ雨の音が、どんどん遠くなる。縺れ合って飛び込んだシングルベッドは、二人分の重さにぎしぎしと悲鳴を上げた。
濡れた服はさっさと脱がされて、直に触れる肌の熱さに、理性はどろりと溶けだしていく。
初めて知る温度。それに簡単に翻弄される身体が、自分のものじゃないみたいで、こわい。ぎゅっと目を瞑って広い背中に縋りつけば、大きな心音に包まれた。
「……すごい。どきどきしてるね」
「そりゃ、恋人に触ってっから」
ぶっきらぼうな音になった、こいびとという言葉。そのむず痒い響きに、胸が高鳴る。途端に恥ずかしくなって、肩口にぐりぐりと頭を押し付けた。
少しスパイシーな、大人っぽい香水の匂い。いつもほのかに香るそれが、この距離だとこんな風にはっきり感じられるのか。
「俺、もっと我慢できると思ったんだけどなぁ」
大人として不甲斐ないという気持ちも、もちろんあるのだけれど。それ以上に、こうして触れ合えることが嬉しかった。
「へえ、我慢してたんだ。アンタ、こういうコトに興味ないのかと思ってた」
「それはまぁ、俺だって男だし、恋人だし……わぁ、ちょっと、いたいよ」
今度は万里にぎゅうぎゅうと抱きしめられた。もしかしたら、知らないうちに不安にさせていたのかもしれない。あまり口がまわる方ではないし、LIMEの返信も遅いし、デートのお誘いも待っているばかりだし。
柔らかな後ろ髪をくしゃりと掴んで、目を合わせた。そこに渦巻く欲は、確かに今、紬だけに向けられている。引き寄せられるまま、唇を重ねた。
「ん……」
薄く唇を開けば、そろりと舌が入り込んできた。絡めとられた舌をちゅうと吸われて、腰が揺れる。
「っは、ん……んむ、ぁ」
呼吸ごと唇を奪われて、本当にこのまま食べられてしまうんじゃないかと思った。どうせなら、美味しく食べられたい。頬に添えられた手を取って、もっとと強請るように指を絡ませた。
口腔を闊歩する肉厚な舌が上顎を舐めて、瞼の裏に星が散る。ぞくぞくと背が疼いた。
今までのキスと全然違って、こんなの、知らない。
「紬さん、もっと触っていい?」
くらくらする頭でこくりと頷いた。長い指が薄い腹を撫でて、それからもっと下に伸びていく。
「あっ、ばんりく……、ぅ、ぁあっ、ん……」
下着越しに、兆し始めた昂ぶりに触れられる。そのままやわやわ揉みしだかれて、上擦った声が溢れ出た。
堪らず両手で口元を覆う。恥ずかしくて、こんな声、聞かせられない。そう思ったのに。
「あ、だめ」
「なんで口塞いでんの」
伸びてきた手に、あっけなく解かれてしまった。
「だって、……っ、声、変で……」
「変じゃねーよ。つーか、かわいすぎてやべー」
「気持ち悪くない?」
万里はぱちぱちと瞬きをして、ふはっと吹き出した。それからいかにも楽しげに目を細めて、下肢を擦り寄せてくる。
「ひゃぁ」
「ほらコレ、勃ってんの。わかんだろ」
「ぁ! やぁ……んっ、はぁ」
ぐりと硬くて熱いものが布越しに触れて、中心がひくりと震えた。思わず引いた腰を掴まれて、さらにぐいぐいと押し付けられる。
「ぁ、うぅ……」
「アンタの声、すげークる。もっと聞かせてよ」
眦の涙を舐めとった唇が、耳元に寄る。低く囁かれて、背が戦慄いた。
「耳、や……んぁ、あっ!」
尖らせた舌が縁をべろりと辿って、それから耳孔に差し込まれる。不恰好に腰ががくがく揺れて、押し当てられたままの屹立に自ら擦り付けるような格好になってしまう。恥ずかしいのに、止められない。触れる先から熱が生まれ、それは一気に全身を駆け巡った。
脳に直接響く水音が、思考をゆるく解いて。もっとさわってほしい。そんなことしか考えられなくなった。
じとりと濡れた下着がずり下ろされて、大きな手が性器に直に触れる。幹を辿り、先端をつるりと撫でた。先走りを纏った指先がぬめぬめと絡みついて、いよいよ息が荒くなる。
「っは、……あ、おれも……」
紬も、手を伸ばした。下着に手を滑りこませ、すっかり立ち上がった熱に触れる。
「く……、っは……」
きゅっと寄せた眉の色っぽさに、眩暈がした。
唇を寄せれば、かぷりと噛みつくように荒っぽいキスを施される。互いを手淫しながら、舌を絡ませ合って、ふたりで高みへと昇り詰めていく。
「ん、ぁ、……ふぁっ。ばんりく……もう」
「ん。俺も、イきそ」
くちゅくちゅと耳に纏わりつく水音が性感を刺激して、背筋を電流のように快感が駆け上がった。
深く深く口付けを交わしながら、手の中に白いものを吐き出す。同時に、紬の手にも熱い飛沫が飛んで、受け止めきれずに腹にぱたぱたと落ちてきた。
「っ、は、は、……ぁ」
「はぁ、……紬さん」
「ん……、ふふっ」
コツンと額を合わせると、さらりとしたミルクティ色の髪が頬にかかった。擽ったくて、身を捩る。
「余裕そうっすね」
「そんなことないよ。ほら、まだドキドキして……んっ」
自分から万里の手を引いたくせに、精液がべっとりついた指先が胸元に触れて、また変な声が出てしまった。
驚いて顔を上げると、綺麗な青が悪戯っぽく眇められた。もちろん見逃してくれるわけもなくて。
「ほんと。すげードキドキしてんな」
「ぁ、あ、待って……そこ、万里くっ」
そんな意思を持って触れられたことも、自分で触れたこともないのに。ピンク色の突起を指が掠めるたびに、ぞくぞくして肩が揺れる。
「ここ、気持ちーんだ。可愛い」
「かわいくな……ぁあッ!」
勃ち上がったそこをピンと弾かれて、たまらなく声を上げた。諫めるために腕を掴んでも、全然力が入らない。
新しいおもちゃを手に入れた子どもみたい、なんて言ったら怒るかもしれないけれど。それくらい楽しそうだから、身体を弄ばれるのも、本当は嫌じゃない。でもさ、ちょっとは限度ってものがあると思うよ、万里くん。
そんな抗議は、喉を通るとただの喘ぎ声にしかならなくて、結局吐精するまで離してもらえなかった。
二度達した怠い身体は、風呂場に連れて行かれて、少しは反省したらしい万里によって清められた。それからふたり、向かい合って浴槽に入る。膝を抱えて窮屈そうにしながら、本当は後ろから抱き込むように入りたかったとぼやくから、笑ってしまう。
「しがない一人暮らしの浴槽がそんなに広いわけないじゃない」
「ケンゼンなダンシコーコーセーの夢を笑うなっての」
そう言って、万里はさらに口を尖らせてしまった。その顔があまりに可愛かったから、いつかその夢を叶えてあげたいなと思う。
例えば二人で暮らすとしたら、なんて考えていると、健全な男子高校生は今度ラブホ行こうと明け透けなお誘いをしてくる。
自分の方が、ずいぶん飛躍した妄想をしてしまったらしい。途端に恥ずかしくなって、まぁいつかねとぞんざいな返事で誤魔化してしまった。
マンションの一階は、半分がコンビニ、もう半分がコインランドリーになっている。
お金を投入して三十分、部屋に戻っても良いのだけれど、なんとなく店の隅にあるベンチに並んで腰掛けた。
雨はもう上がったようだ。窓に貼り付いた雨粒が、時折通る車のライトを反射してキラキラ瞬いている。
洗濯物が乾く間、大きめのスウェットを貸してみたけれど、やっぱり万里には小さくて、座るといよいよ丈が足りない。悔しさを感じるよりも先に、キュッとしまった足首にどきどきしてしまった。
「洗濯物が乾くまで、一緒にいられるね」
「……あんま可愛いこと言ってると、我慢できなくなるんすけど」
「我慢、してるの」
「そりゃまぁ。本当は続き、したいっすからね」
「つづき」
何の、なんて聞かなくたってわかる。
「アンタだって、流石にあれで終わりだとか思ってねーだろ?」
「う、それは……まぁ」
覚悟はしていたのだ。万里を物理的に受け入れるという意味で。もっと強引に迫られたら、許していたとも思う。
けれど、やっぱりどこかに怖さがあって。それはきっと、重ねた肌を通じて、万里にも伝わってしまったのだろう。
「ま、ゆっくりいきましょ。俺らのペースで」
俺の、でもアンタの、でもなく、ふたりのペースで。そう言ってくれる優しさに、胸がじわりと暖かくなる。
「どうしよう、万里くん。また好きを更新しちゃった」
「だからそういう……」
照れた顔で、ぐしゃぐしゃと乱暴に髪をかき混ぜる。指通りの良いサラサラとした髪の感触を、紬はもう知っている。
知らないから怖い。それなら、もっとたくさん君を知りたい。そうすればきっと、先に進める。先に進みたいと思っているのは、紬だって同じだ。
「あ、ねぇ、万里くん。アイスの自販機があるよ。食べようよ。アイスは何が好き?」
唐突すぎると呆れながら、万里はチョコチップが入ったアイスを選んだ。紬がバニラを選ぶと、なんか素朴すぎね? なんて言う。一周回ったらバニラに戻ってくるんだよと力説したけれど、苦笑いを返されるだけ。
君も大人になったらわかるよ。でも、大人になってもチョコチップを選ぶ君も、可愛いかもしれない、なんて。万里の好きなものをひとつ知っただけで、大人だなんて言えないくらい浮かれている。
「冬に暖かいところで食べるアイスって、良いよね」
「あー、コタツでミカン的な?」
「そうそう。人間でよかったなって思うもの」
「ぶはっ、スケールでかいのかちっさいのかわかんねー」
くだらない会話を交わしているうちに、終了のアラームが鳴った。取り出した洗濯物はぽかぽか暖かい。
もういつもの万里の香りはしなかったけれど、代わりに陽だまりみたいな匂いがした。