スポットライトが、命を照らす。
慈愛に満ちた碧い瞳が、静かに伏せられた。最期の一息が、その目がもう二度と開かないことを確かに宣告する。降りていく幕を、誰もが息をすることも忘れてただ見守っていた。長い長い沈黙の後、遠慮がちに鳴り始めた拍手は、たちまち割れんばかりに膨れ上がる。
カーテンコール。
鳴りやまない拍手の中で凛と立つその人は、それはそれは綺麗に泣いて笑った。
冬組公演の成功と、タイマンACTの勝利と、借金完済を祝して、盛大に行われた打ち上げは、深夜に及んだ。
学生組が次々と脱落していく中、社会人組はひたすら酒を煽り続けている。これは朝まで飲み明かすつもりかもしれない。ソファでコーラ片手にスマホをいじっていた万里も、そろそろ自室に戻ろうかというところだった。
「おい、摂津。ご指名だぞ」
日本酒とワインとビールと焼酎の瓶が林立するダイニングテーブルから、声がかかった。立ち上がって振り返ると、眉間に深い皺を刻んだ丞と、その横で手を振っている紬が目に入る。ばんりくーんと暢気な声が万里を呼んだ。
「おい、つむ。ったく、勧められたからって、歩けなくなるまで飲むなよ。摂津、悪いがコイツを部屋まで運んでくれないか。俺は嫌なんだと」
「たーちゃんは雑だし、固いからやだ。ばんりくんがいい。ばんりくん、はい」
両手を広げて、さあどうぞ俺を部屋まで連れていきなさいと言わんばかりである。
首筋まで真っ赤に染まっていて、この女王様は外見に違わず酒はあまり強くなさそうだ。潤んだ目に見つめられては、断るわけにもいかない。元より、断るつもりもないのだが。
「へいへい」
背負うと、後ろから腕がゆるりと回される。酔っぱらいの体温は、万里を溶かしそうなほどの熱を持っていた。
「しっかり掴まっててくださいよ」
「はーい」
「万里、紬に甘くない? 俺のポテチとコーラは全然取ってきてくれないくせに」
「送り狼はダメだよ、万里」
隣で缶酎ハイを煽っていた至と、日本酒を傾けていた東が、好き勝手なことを言っているのは無視した。
「紬さん、ベッド、自分で登れます?」
「……むり」
本当に歩けないのか、ただ億劫なだけなのか、結局ロフトベッドまで手厚く送り届ける羽目になった。ベッドに出来るだけ優しく寝かせてやると、紬が満足そうに笑った。額にかかる前髪を整えると、くすぐったそうに目を細め、それから万里を見据えた。
「万里くん、俺、頑張れたよ。ありがとう」
「お礼言うのは、こっちだっつーの。アンタにいろいろ背負わせちまって、俺……何も出来なかったし」
「そんなことない。不安を吹き飛ばすくらい、美味しいホットチョコレートを淹れてくれた。言葉を尽くして、俺の芝居が好きだって言ってくれた。俺のこと、ちゃんと見ててくれた。だからあの場所に立っていられたんだよ。ありがとう」
コツンと額をくっつけて間近で見た瞳は、澄んだ空色で混じりけがない。
吸い込まれそうだ。そう思った時には、とうに出ていた答えが、するりと口からこぼれ落ちていた。
「俺、紬さんが好きです」
「うん、俺も好き。一緒だね」
ずいぶんさらっと言ってくれる。少し開いた唇に誘われるように、己のそれを重ねた。軽く触れるだけのキス。すこしかさついていて、冷たくて、酒臭かった。
「俺の好きって、こういう意味なんすけど。分かってんの」
「うん」
紬の腕にぐいと抱き込まれ、耳元でこっそりとそれも一緒だと告げられてしまえば、もう衝動を抑える方法など一つもなくなってしまった。
「万里くんの唇、柔らかくて気持ちいい。ねぇ、もっとしよ」
「アンタな……そういうとこ、ほんとに狡いわ」
「嫌いになる?」
「んなわけねーよ。それより、明日んなって記憶ないとか、やっぱナシとか絶対言わないでくださいよ」
「言わないよ。俺、酔っぱらっても記憶は無くさないタイプだから」
もう黙って。そう口をふさいできたのは、紬の方だった。
徐々に深くなる口づけに、理性の糸などたやすく切れてしまう。鼻に抜ける甘ったるい声が、抗い難い温度で万里を蝕んでいく。
いつか見た夢の続きなのか。涙を蓄えた目尻をペロリと舐め上げると、しょっぱさが夢でないことを教えてくれて、心の底から安堵した。
シャツの裾から手を這わせれば、可哀想なほどびくりと震える。やはり感度は良好のようで、万里は満足げに笑みを作った。快楽に従順な身体が愛おしい。胸元に這わせた指先が小さな突起に行き当たると、細い腰があからさまに揺れた。
「ふはっ、エロい。ここも感じんの」
「んぁっ、はっ……あぁっ」
やわやわと親指で捏ねたり人差し指で弾いたりと好き勝手に弄ぶと、従順に先端が硬く尖っていく。
「紬さん、声、我慢して。聴こえちまうかも」
「む……無理。ねえ、お願い。塞いでて」
仰せのままに。噛みつくような荒っぽいキスも、難なく受け入れてしまう包容力に甘える。首に回した腕が、ぐいと万里を抱き寄せると、高ぶった中心がごりと擦れて、くぐもった吐息が互いの口腔に吸い込まれていった。
苦しそうに主張する前を寛げ、下着に指をかけたところで、ドンドン、ガチャ、と甘ったるい空気を蹴散らす音がドアから響いた。
「万里ー、水持ってきた。丞が紬に飲ませてやれってさ。ったく俺を足に使うとはいい度胸だ……な?」
突然の来訪者は目を丸くして、ロフトベッドに視線を注ぐ。見られた。言い逃れできないくらい、ばっちり、見られている。
「ったるさん!?」
「万里お前……、まじで送り狼に……。セコムの居ない間に酔っぱらい押し倒すとか必死すぎワロww」
「いや、これはその」
つかセコムってなんだよ。取り繕うべきか、珍しく焦って歯切れが悪く、ツッコミもままならない。だらだらと冷や汗が頬を伝っていく。
「合意だから問題ないよ、至くん」
「紬さん!?」
「は、まじか」
逆に随分冷静な紬が、組敷かれたまま内緒にしてねと口元に人差し指を立てた。言葉を封じる魔法でも唱えているかのようだ。しばらくの沈黙の後、漸く魔法が解けた至は、とりあえずリア充爆発しろとぼやいた。
「至さん」
「万里、明日からのイベ助っ人よろ。俺らこれから東さんの部屋で二次会だから、……お静かに?」
ローテーブルにペットボトルをとすんと置くと、ひらひらと手を降りながら、至が部屋を出ていく。ドアが締まりきるのを待って、へなへなと脱力した万里は、紬の上に崩れ落ちた。
「はぁ、ビックリしたね」
全然そんな素振り見せなかったくせに。悔しくなって言いつのろうとしたところで、はたと気付く。
額を押し付けた胸が、ドッドッと随分な速さで鳴っている。顔を上げると、先程までの涼しげな表情なんて一切なくて。
「ははっ、紬さん、顔真っ赤。今かよ」
「ちょっと、笑わないで。恥ずかしさと居たたまれなさが、一気に襲ってきてるとこだから。至くんに牽制するなんて、大人げないことしちゃって、うわぁー、どうしよう。んんん」
悶絶してる。可愛い。顔を両手で覆ってどんどん声がくぐもっていく。
「紬さん」
「……」
「つむぎさーん。顔見せて」
まだ開かない指に唇を寄せて、ちゅっと音をたてる。緩んだ隙間からグラグラと揺れる大きな目が覗いた。
「なんでニヤニヤしてるの」
「好きだなと思って」
「……万里くんは狡い」
「アンタにだけは言われたくねーんだけど」
漸く離れた両手は、そのまま万里の首にするりと巻き付いた。
ふにと軽く触れるだけのキスが、今日はここまでだと宣言する。熱を交わす時間は残念ながら終わりのようだ。
「お水、飲みたい」
へいへい。ロフトベッドから降りて、ペットボトルのふたを開け、のそのそと上半身を起こした酔っぱらいに差し出した。いつもさらりと降りた髪がぼさぼさになっている。
「紬さん、明日カフェ行こうぜ」
一口飲んだらもう用済みのようで、無造作にこちらにペットボトルを戻しながら、首を傾ける。
「カフェだけ?」
やっぱり、狡いのはアンタだ。絶対泣かす。どろどろに甘やかしてぐずぐずに蕩けさせてやる。
ロフトの階段を二段上がる。
「覚悟しとけよ」
耳もとにわざと低い声で囁いて、ぺろりと舐めあげれば、うひゃと色気のない声が上がった。
合わせた目が弧を描き、狡い大人はふふと満足そうに微笑んだ。