ふたしか、たしか - 5/5

5.続・幼馴染の受難

 大人になると飲まなきゃやってられない夜もある。例えば上司の尻拭いで無駄に残業させられたとか、ガチャでドブりまくったとか、目の前でリア充がイチャついてるとか。
 まあ、最後のは、インターホンを鳴らさずに庭から入ろうとした俺も悪いとは思う。けどさ、塀と植物に囲まれてるって言っても、外からの目もあるとこで何盛ってんのって話でしょ。
 紬さんが可愛いのが悪いとしゃあしゃあと言ってのけたお前、これから二百連ガチャでドブ引く刑に処す。隣で真っ赤になってる紬はとりあえずシャツのボタンを留めてくれ頼む。
「ご……ごめんね、至くん。ビールでいいかな」
「ありがと、紬。いやいや、すっかり仲直りしたみたいで、何より」
 冷えた缶ビールを受け取って、はははと乾いた笑いを溢した。通されたリビングのソファにどかっと腰を下ろし、ビールをぐいっと呷る。今日の料理担当は万里らしく、いかにも映えそうな色鮮やかな料理が並んでいた。
 ちなみに今は俺がリクエストしたピザを作るべく、キッチンで不貞腐れながら小麦粉を捏ねている。
「そういえば万里、うちでインターンやるんだって?」
 なんで末端の営業職が知っているかと言うと、各方面から歓喜の声が何故か俺に届けられたからだ。勝手にセット扱いしないで欲しい。あんなに渋々だった万里にどんな心境の変化があったのか知らないが、年末の短期バイトですっかり気に入られていたから社内は歓迎ムードだ。
「うん、夏休みにお世話になるみたい。よろしくね、至くん」
「アイツ文芸編集部なんでしょ。あんまり絡みないけど、まぁ見かけたらランチくらい奢ってやろうかな」
「ふふ、ありがとう」
 自分のことみたいに嬉しそうに、紬が笑った。
「楽しそうだね、紬」
「万里くんが、先のこと考えて行動してくれるのが嬉しくて。それに、万里くんが出版業界に興味持ってくれるのは、至くんも嬉しいでしょう?」
「ま、それはそうだね」
 そんなに高尚なつもりはないけど、紬にそう言われると、まぁそうかなと思ってしまう。紬が手をかけると花が綺麗に咲くらしいし、紬と話すとなんとなく清らかな心になるから不思議だ。
 もしかしたら、何か目に見えない力を持っているのかもしれない。あの何に対してもやる気も興味も見出せなかった万里を懐柔し、必死にさせちゃうくらいだし。あ、今ちょっと俺の中の中学二年生が疼いた。
「丞は?」
「もうすぐ来ると思うよ。最近配達に時間かかるみたいで、今日も遅くなるって……あ、来たみたい」
 噂をすれば、インターホンが鳴った。今日の来賓は俺と丞。例によって、ふたりのごたごたに巻き込まれた俺たちを労う会らしい。予想通り丞も迷惑を被ったと知って、謎の連帯感が生まれたのは言うまでもない。
 出迎えに行った紬と共にリビングに現れたのは、いかにも消耗した様子の丞だった。
「あらま、随分お疲れで」
「……こいつのお陰でひどい目にあってるんだ。現在進行形で」
 フローリングに腰を下ろして長いため息をついた後、丞は眉間のシワを揉み込んだ。隆起した肩のラインには悲壮感すら漂っている。
「え? 俺?」
「この間お前が居酒屋でワンワン泣いたせいで、作家先生をいじめるなって配達に行く先々で説教されるんだ」
「ほう、居酒屋でワンワン」
「へーえ。その話、後でじっくり聞かせてもらっていーっすか」
 俺の呟きに被さったのは、万里の声だった。振り返ると、丞用のビールを持った万里が、締まりの無い顔を隠しもせずに立っている。
「わ、万里くん! 違ッ! ちょっと丞、いい加減なこと言わないでよ!」
「お前飲みすぎて忘れたのか? 万里くんが出て行っちゃったーってピーピー泣いてただろうが」
 慌てる紬とニヤける万里を交互に見遣った。その間で呆れている哀れな戦友の姿は涙を誘う。やっぱりそっちも大変だったんだな。俺、万里の相手で助かったかも。
 作家という珍しい職業に加えて、心優しい園芸家としても名高い紬は、高遠家に限らず地元住民からやたら愛されている。そんな空気は感じていたが、その涙は界隈を騒つかせるほどの力を持っているらしい。
 気持ちは分からなくもない。穏やかで、優しくて、しっかりしていて、意外とノリが良くて、でもちょっと抜けてるところがあって、ぽやぽやしてて、危なっかしい。俺も一つ年下ながら、紬にはなけなしの庇護欲がバリバリ掻き立てられるんだよね。よし、今度から紬のことはモンペ製造機と呼ぼう。
 どうでも良いことを考えていたら、チーズが焼ける香ばしい匂いが漂ってきて、腹が鳴った。さて、そろそろ戦友を助け出してやらねば。だって俺たち労われる側なんでしょ。
「そういやバンリクンもうちでメソメソしてなかったっけ?」
 俺の投下した発言に、万里はそれはそれは嫌そうに眉を潜め、紬は大きな目をさらに大きく輝かせた。
「……は?」
「え! 何その話、詳しく聞きたい」
 前のめりになる紬の肩を万里がぐいと引き戻した。
「ったるさん、余計なこと喋ったらボコす」
「は? お前なんか秒で返り討ちにしてやんよ」
「万里くんの格好良くない話、聞きたいなぁ」
「だーめ。アンタの前では格好良くありたいんですよ」
 はいはい、そこまで。まったく、丸く収まった恋人達の話なんて退屈すぎて犬も喰わないんだよ。あとはふたりでよろしくやってくれ。
 とりあえず一件落着、ということで俺たちもお役御免。斜向かいに座る丞にビールを掲げる。それから、無言で互いの健闘を称え合い、労いの乾杯をしたのだった。