ふたしか、たしか - 1/5

1.幼馴染の受難 —茅ヶ崎至の場合—

 大人になると飲まなきゃやってられない夜もある。例えば花金の退勤間近に仕事丸投げされて残業させられたとか、その間にソシャゲのランク抜かされたとか、家帰ったらランク抜かしたヤツがのうのうと俺のコーラ勝手に飲みながらソファで寛いでたとか。
「至さんおつー」
「……万里、お前いつまで居座るつもりだよ」
 先日転がり込んできたこの男、家主の帰還に顔すら上げずに手元のスマホを忙しなくいじっている。別に三つ指ついて出迎えろとは言わない。むしろ気持ち悪いからやめてほしい。けどさ、もうちょっと家主に敬意を払うべきじゃないの。とりあえずそこ俺の席だから退け。
 腹が立つほど長い足を蹴り飛ばして、空いたソファに沈み込んだ。スマホを窓からぶん投げてやりたい衝動をなんとか抑えた俺を誰か褒めてくれ。
 優しいね、凄いね、えらいね、至くん。そうやって簡単に褒めてくれそうな友人の顔を思い浮かべて、深いため息をついた。
 こいつがここにいる原因の一端はその友人にあったからだ。
「さっさと出て行けよ」
「や、無理っす。俺今紬さんと絶交中なんで」
 なんだ絶交って。小学生かよ。
 床に胡座をかいた万里の肩がいつもより小さく見えるのは、多分気のせいじゃない。人生スーパーウルトライージーモード、なんて嘯いていたヤツが随分変わったもんだ。恋というものはこうも人を変えてしまうものなのかと恐ろしい反面、その変化は幼馴染としては嬉しくもあった。
 まぁ、それは平時の話。今はイージーモード発揮して、はよ仲直りして俺の安寧を返してほしい。
「じゃあせめてなんで喧嘩してんのか言ってみ。ほら、オニーサンがちゃちゃっと解決できる劇的的確アドバイスしてやるからさ」
「アンタのアドバイス料エグいから嫌……」
 それは数か月前に紬が真っ赤な顔で差し入れに持ってきてくれた、重箱に入った赤飯のことでしょうか。俺だって本気で俺たちついにヤリました報告を受けるとは思わなかったわ。なんなら報告されなくても知ってるし。お前らがホテルでよろしくヤってた時、俺めちゃめちゃ働いてたっての。
「や、でもさ、俺のアドバイスのおかげで、紬と晴れて恋人になれたわけでしょ。九割俺のおかげと言っても過言ではないわけで。だからまぁ、話すだけ話してみてもいいんじゃないかと」
「……四割くらいっす」
 どうやら半分以上は自力で手に入れたのだと主張したいらしい。面倒臭い。非常に面倒臭い。
 実はこのやりとり、すでに三回目だ。
 ちなみに紬は紬で、万里くんは元気にしてるか、ジャンクフードばかり食べていないか、学校に行ってるかと母親より過保護に毎日俺に連絡を寄越すくせに、自分から万里に連絡を取ることなく、俺に事の顛末を語るつもりもないときた。なんで俺がこいつらの痴話喧嘩に巻き込まれにゃならんわけ。そんな役回りは丞にしてくれ。丞に。
 巻き込まれ体質の友人は、愛想は無いが、わりと面倒見が良い。もしかしたら今頃、紬は丞に愚痴の一つでもこぼしているかもしれない。じゃあこのでっかいガキはやっぱり俺がなんとかしなきゃだめってことか。
 飲まなきゃやってられないどころか、飲むしかない。いや、飲ませて吐かせるしかないところまで来たと悟る。鞄を引き寄せて取り出した財布を、ベージュの後頭部に投げ付けた。
「いって! ……何すか」
「酒買ってきて。強いヤツ」
 お前がベロベロに酔っぱらって、洗いざらい吐きそうなやつだぞ。
「はぁ? そんなん自分で」
「ほほう、君はそんなに追い出されたいわけか」
「……へーへー、わかりましたよ」
 のそりと立ち上がった万里が、心底面倒臭そうに玄関へ向かう。道路挟んで向かいのコンビニなんだからすぐだろうが。
 悪態を吐くのをなんとか堪えたら、また脳内で紬がえらいねと褒めてくれた。紬、俺を労いたいなら、一刻も早くこのクソガキを迎えに来てはくれないか。俺の懇願に、脳内の紬はにこやかにノーを突き付ける。そうそう、紬もなかなか頑固なのだった。
 全然似てないと思いきや、二人は変なところで本当によく似ている。だからこそうまくやってきたんだろうし、今回のことも別に本気で心配しているわけじゃない。時間が経てば二人でうまく解決するんだろうさ。
 でも俺には時間がない。明日から始まる往年のロボットアニメ一挙放送をゆっくりじっくり一人で堪能するために。
 とにかく酒だ酒。べつに強くも弱くもないし、殊更好きなわけでもない。でも今はお前が頼りなんだ頼む。