甘いコーヒーの淹れ方 〜とある敏腕編集者の証言〜

「じゃあ、これの資料が揃ったら、まとめてお持ちしますね」
「はい、よろしくお願いします」
 手帳に走り書きをして、パタンと閉じた。今日の打ち合わせはこれにて終了だ。腕時計を覗くと、時刻は十七時を指している。
「月岡先生、この後のご予定は?」
「万里くんと十七時半に待ち合わせしてます。今日、スーパーの特売日なんですよ。たまごを買うのに付き合ってもらうんです」
 ポケットに入れておくとすぐに気付かないからと、スマホをテーブルにわざわざ置き直すのが可愛らしい。
「相変わらずですね」
 摂津くんと仲が良いことか、はたまた、たまごが好きなことか。どちらと取ったのか、月岡先生は恥ずかしそうにあははと笑いながら頭を掻いた。
「高橋さんは、この後どうされるんですか」
「私はここで十八時に別の打ち合わせが入ってるので、それまで時間を潰す予定です」
「じゃあ後少しここに居ても良いですか」
「はい、もちろんです!」
 月岡先生は人好きのする笑顔を浮かべて、ありがとうございますと丁寧に頭を下げた。私が新婚じゃなかったら、コロリと心が傾いてしまいそうだ。イケメンは別腹、と人に豪語しつつも多少の罪悪感はあって、心の中で旦那に謝った。
 月岡先生は最近、綺麗になった。以前は可愛いという印象の方が強かったのに、どこか色気が出てきたというか。同居人の摂津くんの方は元から色気ダダ漏れのザ・イケメンみたい感じだったけれど、最近は逆に落ち着いて見える。ふたりの雰囲気がどんどん似てきているのだ。
 一緒に住んでいると、自然と似てくるものなのかもしれない。飼い犬と飼い主が似てる、みたいな。いや、別に摂津くんが犬っぽいってわけじゃ無いんだけど。そういえば、前は摂津くんが月岡先生に懐いてるって印象だったのに、最近は寄り添っているというか、お互い心を預けあっているような信頼感が伺える。居心地が良さそうで、こちらも見ていて嬉しくなってしまうくらいだ。
「この間は、お土産ありがとうございました。新婚旅行、ハワイでしたよね。楽しかったですか?」
「はい、それはもう!」
 地獄の年末進行から脱出した私は、仕事納めからそのまま成田空港へ向かい、ハワイに飛び立った。友人と何度か行ったことはあったけれど、新婚旅行となるとまた違う楽しさがあった。楽しすぎて、帰国後しばらくはハワイロスが酷かったくらいだ。
 ビーチでウェディングフォトの撮影をしたこと。正月だったから、芸能人をたくさん目撃したこと。ホテル近くのお店のパンケーキが美味しかったこと。取り留めもない私の話を、聞き上手な月岡先生はうんうんと相槌を打ちながら熱心に聞いてくれた。
 ついつい話し込んでいると、向かいでスマホがピコンと鳴った。
「あ、万里くんだ。もう駅に着いたみたいです」
 ぱあっと花が綻ぶような笑顔に、どきりと心臓が跳ねて、また心の中で旦那に手を合わせた。
「すみません、私の話にばかりお付き合いいただいてしまって」
「いえいえ、俺も楽しかったですよ」
 そう言った後、真剣な顔になって、人差し指でぽちぽちとスマホをタップする。機械が苦手な先生が、LIMEを頑張って使っているところも可愛くて、つい見守ってしまう。漸く打ち終えた先生は、一仕事終えたような晴々とした顔で残りのコーヒーを飲み込むと、席を立った。
「それじゃあ、これで失礼します」
 深々と頭を下げる先生に、私も立ち上がって礼をする。
「はい、ありがとうございました。摂津くんによろしく伝えてくださいね」
「はい」
 伝票は経費で落とすからと預かる。いつもながら申し訳なさそうにする先生に、今度摂津くんのコーヒーを飲ませて欲しいとおねだりしてみると、快諾してもらえた。編集者の役得がこんなところに転がっているのだから、お礼を言いたいのはこちらの方だ。何度か自宅にお邪魔した時にお相伴に預かっているけれど、彼が淹れるコーヒーはお店のものと遜色ないくらい美味しくて、どこか甘さがあるところが好きなのだ。
 月岡先生は、心なしか軽い足取りで店を出ていった。おかわりのコーヒーを注文して、何気なく窓の外を見やると、生垣の向こうでこちらに向かって走ってくる長身を見つけた。あ、摂津くんだ。遠目にも分かる均整の取れた身体はモデルのようだ。その姿を目で追っていると、窓の隅っこにひょっこり華奢な後ろ姿が現れた。あ、月岡先生。こちらもすらりとして、背筋が伸びた凛とした立ち姿は人目を惹く。
 落ち合ったふたりが、一言二言交わして笑い合う。穏やかで優しい雰囲気が心地良くて、不躾な視線を送り続けてしまう。
 本当にお似合いだなぁ。と、つい口から滑り落ちていた言葉に我ながら驚いた刹那、もっと驚く光景を目撃してしまった。
 きょろきょろと周りを伺った摂津くんが、月岡先生にぐっと近付いて。……キスした。
 数呼吸分ピシリと固まった先生と同じく、私もふたりを凝視したまま固まった。それから、摂津くんがこちらをチラリと見て、人差し指を口元に立てたのだ。ナイショな。と言わんばかり。
 見ていたのに気付かれていたのも、気付きながら見せつけてくれたのも驚きだ。ふはっ、つい笑ってしまって、店員さんに変な目で見られてしまった。
 新婚の私にまで牽制しなくたって、大丈夫なのに。独占欲、強いんだ。若いって良いな。
 摂津くんが淹れるコーヒーがなんで甘いのか、理由が分かった。ああ、ゴチソウサマでした。
 並んで歩き出したふたりを窓を隔てて見送る。運ばれてきたコーヒーは一杯目より随分甘い気がした。